2009/10

カオス経済の先

私の思い込みですが、エネルギーを大量消費する企業の多くは、経済環境がカオス化すれば自社に見合うエネルギー補填の為に、活動領域の拡大を迫られます。その拡大が見込めない状況、人口減少時代が到来すると、エントロピー増大に呼応して拡大路線から組織の細分化、つまり細部の活性化、乱雑化時代に適した組織再編へと進む筈なのです。近年話題のエコロジー関連産業を眺めると、そこで注目される技術上の成否は経済効果、利益に結び付いたボリュームを評価する傾向を感じます。しかしエコの本質は直接利益を伴わない行為にこそ、多様な展開が潜んでいると思うのです。つまり物それ自体よりも物を支えるシステムの側、例えば流通等の分野にも開拓の余地が窺がえます。報道されているコンビニの不振、量拡大の話題よりも、商品を大量に廃棄しないシステムの再構築等が注目されて、こうした対応もエコ技術の範疇に加えることが出来ます。物の大量生産や効率重視は、多様な個人の可能性を生かし切れず、暮らすことへの潤いを奪い去る側面を感じつつある昨今です。 エコで話題に上る江戸時代、庶民生活を覗いてみるとその感を深くします。人々は経済活動に勤しむよりも、もっと別の世界を目指して生活全般を組み立てていました。数年前、ナニワ商人/木村兼葭堂の業績を企画展示した会場に出掛けたことが思い出されます。商売とは別に何も役立たない旺盛な知識欲を、存分に消費した粋な人種が江戸期に多数活躍しています。現代よりも半分以下の人口構成の空間では、肉声レベルの多様で活発なネットワークが生きていました。翻って現在、インターネットの興隆、利用者はある意味で兼葭堂的人種でもあります。つまり博物学的関心を大衆に目覚めさせた点、ネットの興隆は人々に多大な影響を与えました。けれどもモニター画面から溢れる情報を、ひたすら消費する私たちの向かう先、果たして何が待っているのでしょうか?

写真解説

木村兼葭堂の面構え。別に数年前、武士の日記を解読・解説した建築歴史関係の本を読んで感動したことがあります。いえ平和な時代に暮す彼らの、たわいない日常生活に頷いたと言うべきでしょうか。