2009/05

中学生の未来

本格的な連休に入った夜、観るとはなしにTVを付けると、小中学校の教職員が如何に過酷な労働を強いられているかレポートをしています。図式的な番組構成と思いつつ眺めていましたが、戦後間もない頃に理想の教育者として登場した無着先生の近況インタビュー等、興味深い場面が続きます。60年代の高度経済成長の頃から、如何に教育の現場が荒んだか、その惨状に対してコメンテーター達が意見するやり方です。その夜、寝る前のうつら状態の時に、思い出す事がありました。中学時代の友達のことです。田舎から東京に出て都会生活に慣れてきた私が、生まれてハジメテ驚嘆するほど頭の良い他人を意識した体験です。その頃、国語の授業で詩を書くことがあって、彼の詩は飛び抜けた表現力で、担当の国語教師以外に、もう一人の年老いた女先生をも唸らせて、女生徒達の注目を浴びたのでした。語句は忘れましたが、冬日に映える欅の梢に自身の心を投影して、私には、あたかも高村光太郎詩?フレーズの如く響いて、タジロイタのでした。テニスコートのある彼の家によく遊びに行ったものですが、何故こうしたマセタ詩を書く事ができたか?、今考えると家庭環境の影響であろうと想像できます。すこし年が離れた末っ子の彼は、大学生の兄達から色々な教養を伝播されていたのです。私は彼の家で大江健三郎を知り、当時話題の「万延元年のフットボール」この小説は凄いと聞かされたのです。全科目優秀な成績であった彼は、劣等生の私とは高校進学を契機に疎遠となり、其の後どんな大人に成長したかは知りません。でもあの明晰な頭脳に対して、少し華奢な体躯を思い浮かべると、所謂受験競争を巧みに切り抜けた「早い頭」の持ち主達とは異なり、彼の秘める「強い頭」への若芽は、其の後花開いたのだろうか?と・・・。「強い頭」とは、以前に西澤潤一氏が、戦後教育に対して述べた警句と記憶しますが、昨今は各分野において「強い頭」を持った若い人材が求められていると感じるのです。

写真解説

「強い頭」の代表はアインシュタイン。でも学生の頃は成績優秀では無かったとか・・・、自身が興味を持っことに熱中するタイプだったそうです。彼の時空概念は建築家のインスピレーションを誘発しました。