2009/04

記憶の街

ネットのニュース欄に、長崎の軍艦島観光ツアーの記事が掲載されていました。ツアーがブームに?との見出しです。学生時代訪れた人工島の光景が脳裏に浮んで、懐かしい気持ちに浸りました。その頃はデザインサーベイが本格化する時期で、建築雑誌/都市住宅に掲載された武蔵美・会津大内宿のサーベイ記事は特筆に価して、設計/建設することだけが建築と思い込んでいた私は、カルチャーショックを受けたのでした。時代風潮の影響があったのでしょう、卒業時にはデザインサーベイが盛んな研究室を選んだのです。けれども自身は皆から離れて、小さなサーベイを行っただけでしたが・・・。理由は学生が古い歴史ある街を訪れて調査する姿勢に、ひそかに田舎者と自認している私は、妙な恥ずかしさを感じていた訳で、街並み調査に高揚していた彼らに接近することはありませんでした。でも知らない街を探検したい欲望は強く、考えた末に矛先を近代建築の遺産?、炭鉱街に眼を向けたのです。主に九州と山口県を訪れたのですが、夏休みに当時閉山間もない軍艦島を訪れて衝撃を受けて、研究室のベテランに本格調査の相談をした訳です。しかし規模が大きすぎて一人では断念せざるを得ません。結局、山口県にある大嶺炭鉱白岩地区の炭鉱街をサーベイすることに落ち着きました。炭鉱住宅は会社の営繕部門がきちんと図面化して建設していましたから、そうした図面等も運良く入手、共同施設や各種炭住等、整備された多くの図面に感心したりでした。また宮本常一氏が付近を調査された資料も発見、炭鉱街に暮す方の充実した生活振り、周辺の古くからある村落は、炭鉱街の文化が逆浸透した等の指摘に、はっとしたものです。短期間の調査でしたから、貧弱なサーベイでしたが、廃墟の炭鉱住宅に友達と泊り込んだこと等、得がたい体験でした。自身が何故珍しい研究開発の仕事に進んだか? 今考えると、卒業前一連の単独行動が、建築デザインを考える私の思考回路に、ひどく影響を与えたと思うのです。

写真解説

数年前、写真家・大橋弘氏の個展があった際に買い求めました。彼は若い頃に軍艦島で働いた経験の持ち主で、私の知らない廃墟前の街に住んだ方です。(本横は私のピタゴラス、意味はありません。)