2008/11

建材の未来

先日、近所の本屋では珍しく、建築関係の本が数冊積まれていているのに気付きました。何故この本が置いてあるのだろうと訝りながら、手にとり挙げてページを捲ります。学生時代の課題、軽井沢の山荘をコピーしてからのお気に入り、吉村順三氏の講義録?です。住宅をメインにした内容で、「火と水と木の詩」<私はなぜ建築家になったか> 、とサブタイトル付き120ページ程の本、一般の方が興味を持って購入する図書とは思えず、暫らく眺めた後に中身を吟味せねばと結局入手、喫茶店で読み始めました。吉村ファンであれば既知のことばかりでしたが、数ページを割いて、おそらく今春撮影したと思われる、氏亡き自邸の姿が色々なアングルで掲載されています。一連の写真、・・・真新しい住宅とは異なる、ある種朽ちることが自然に出来ている住いの姿が、そこにあるのです。例えば、それは東京の下町、月島の路地沿いに展開される古めかしい長屋の街並み、そこを通ると醸し出される、住み込まれ朽ちた風合い、何処かが似ています。氏が設計した米国にあるロックフェラー邸、・・・この住宅が建築雑誌に発表された当時、ロの字型に配置された見事な空間構成に興奮、一人感嘆したことを思い出します。おそらくこの豪華な住いも年月を経た今は、月島の長屋と同様な風合いが漂っている筈と想ったのでした。翻って現実のことを考えますと、住宅市場は品確法等の規制が声高に叫ばれて、法律に安心を託す世相が顕著ですが、たとえ法をクリアーした素材であっても、いつかは老朽化の波が襲います。将来、ユーザーはその老醜と付き合わねば成りません。陳腐な例えですが、美容整形の美女に後年訪れる身体の醜悪さが浮んで、時の経過を素直に組入れた建築、経年変化をユーザーが自然体で受け止められる建築素材へ、それに見合う工業部品創造の必要性を感じるのです。

写真解説

吉村氏の師匠にあたるレーモンドの建築も、近年何故か新刊が出版されています。この流れに組する建築家は少数なのでしょうか?昔から、わかる人には解る空間感覚と、密かに思っています。