2008/09

建築家の軌跡

バブル景気の頃、池田武邦氏が長崎オランダ村の計画に力を入れている・・・そんな噂を耳にしていたと思います。その頃、私が所属する事務所はある大学の一部施設、実施設計を受け持っていたのですが、同じ大学の外構を含めた他全施設を氏の事務所が担当、打合せの為に新宿三井ビルへ幾度か訪れたものです。池田氏に対する私の印象は、少し前の都庁コンペを争われた頃、建築雑誌で超高層ビルの不健康さ?を力説される等の発言もあって、大事務所トップの見識として、少々違和感を覚えたこと等を思い出します。先日、氏の戦後の活動がTVドキュメントとして放映されて、色々なことを知りました。偶然、再放送を観たのです。そこで初めて、氏が海軍に入隊されて巡洋艦矢矧に乗り組まれ、戦艦大和と運命を共にされた生き残りと判りまして、前から海軍は印象にあったのですが、そこまで知らずでしたので、氏の人生航路に対して、私なりに腑に落ちた思いがありました。番組は池田氏の建築観を丁寧に描いた内容でしたから、以前私が抱いた誤解を払拭すると共に、超高層建築の第一人者、霞ヶ関ビルを設計した建築家が、後年何故思い切った方向転換?を果されたか、私なりの解釈を得ることができました。改めて戦中世代のこだわり、心情の一端を垣間見た思いがします。建築空調技術は軍艦等船舶製造の過程で生まれたと言っても過言では無い訳ですから、室内環境を機械的に制御する技術に対して、他の建築家以上に信頼をおかれていたことでしょう。ところが自作した超高層の中で働いて、その人工環境に疑念を抱くに至ります。そこで立ち止まり、大組織に距離を置いて個人が挑んだ試行錯誤には、心動かされる何かがあります。

写真解説

東京緬団という讃岐うどん屋に立寄った帰り、眼前に新宿の超高層ビルが迫ります。写真右端、私のなかでは評価の高い三井ビルから順に、竣工間近な左端のクモノ巣ビルまで、・・・しかしクモノ巣には溜息が出ます。