2008/03

家族の朝食

何気なくTV番組を観ていましたら、子供達の朝食に異変が起きていると問題提起をしています。前から感じていましたから、特に驚きはしなかったのですが、多数の子供達が撮影・記録した毎日の朝食には、びっくりする画像もあって、私たちの食生活は本当に深刻な事態に陥っていると感じた次第です。関連する話題を先月も取上げましたが、人間の基本的な要素である食べる事に対して、私たちは受身になっています。個人が自身の手を使って何かを作り出す能力の重要性を考えると、毎日料理をつくり食べることは、基本中の基本であると思います。身体を実際に動かして成果を得ることを疎かにしますと、人間が本来兼ね備えている潜在能力を衰弱させるだけだと思うのです。学生の頃アンドレ・ルロア・グーランが著した「身振りと言葉」に関する本、類人猿から現代に至るまで、人間の手が作り出す物の歴史を説いた著作のことを思い出しましたが、これから先は「身振り退化の歴史」を綴る破目になりそうです。そして建築は身振りの高度化と共に精緻化したと思うのですが、近年味わい深い建築が減少していると感じるのは私だけでしょうか?建築部品が高度化することで、利用する方々の家畜化が進んで仕舞えば、部品工業化に取組む意味がありません。少しでも状況を変えたいと、新たな開発部品のアイデアをホームページに掲載しました。利用者が建築の表情をコントロールできる装置、毎日の朝食をつくる家族の手が、建築立面を活性化する身振りに及ぶことを、夢見た提案です。

写真解説

量産化した外壁が多様な表情を描き出すイメージ、1951年フランスの建築家L・ミラボーが設計した集合住宅は、ギロチン窓の上げ下げで、それを実現しています。先日、住い手の力を見直した本の新聞書評にも目が留まりました。