2008/02

料理の感触

年が明けて一番の話題、中国製ギョーザの騒動は2月に入っても収まる気配がありません。
冷凍技術が進んでも、人の手を介する領域は消えることはありませんから、どこかで人為的な違法行為とか、管理上のミスがあれば、たとえ食品と言えども、こうした事件は起きてしまいます。発生した後の、関係者の国を越えての対応が問われています。現代は飽食時代でもありますが、今回の事件を考えると、何かを改めなければと思うこの頃です。まだ余韻が残っているミシェランガイドの発表から、それほど時間は経っていないので、そうした感を深くします。世界的に評価される料理店が多数存在する街であると煽てられて、いい気分になっていましたが、普段の生活を見渡すと、私たちは、量産化された加工食品に取り囲まれて生きているのです。飛躍しているでしょうか?私にはこの現象は、古くから存在していた各地の民家が消えて、住宅産業が市場を席巻した構図と、まったく同じに見えて仕舞います。自身が暮らす手段の根源を、自身の手を汚さず安易に工業化資本の論理に委ねた結果、思わぬ災難が起きていると感じます。昨年でしたか、経済紙に宇宙飛行士であった毛利さんが、科学技術の進歩に比較して、世界は貧困とか戦争の脅威は留まることを知らず、こうした状況に対して、経済学からは何も説得力のある提言が成されていないと、苦言を呈されていましたが、身近な食について、個人に委ねられている料理の感触を置き去りにして、企業がマーケットで目覚しい成果を得たとしても、消費者の利益に成らないこともあると、商品を受取る側への警告と受け止めました。

写真解説

のんびりと冬の川辺を散策しますと、色んな風景に出会います。河の水は澄んでいて、放流した鯉がゆったりと泳いでいます。仲良くジョギングする老夫婦とすれ違いながら、水鳥達が遊ぶ、水面の輝きに見惚れていました。