2006/02

保科五無斎、鉱物への夢

江戸期や明治の人物を知れば知るほど、彼等の多彩さと魅力に感嘆するばかりです。保科は明治中期に師範学校を卒業して小学校校長となった人物です。教育とは、若い人が今後の人生を生きて行けるだけの知恵を授けることに在るとして、学歴偏重に向かう当時の教育的風潮に反旗を翻したそうです。30才を過ぎて、彼にしても若き人を損なった罪があると、校長を突然やめてしまいます。それから、地元信州の山奥に鉱物採取の一人旅を挙行、持ち帰った鉱物を標本として100箱ほどを製作、全国の学校に寄贈したエピソードもあります。結果として、妻を娶らず独身で過ごした人物で、資料に拠れば、地方紙にユーモアに満ちた寄稿を載せる等の名士でもあり、尊敬を集めていたそうですが、40代半ばに早世しました。昔田舎に居た頃、小学校の理科教室に置いてあった鉱物見本は、保品が配ったものだったのでしょうか?写真から窺える風貌には力強さがあり、孤高の旅人と言えばよいのでしょうか、深い孤独の陰が感じられます。何故か、19世紀末の英国で、若きラスキンが鉱物を愛し、すばらしい風景画のスケッチを描いていたことを思い出すのです。

鉱物見本の小箱

懐かしい鉱物見本の小箱です。小学生の頃に鉱石を集めた時期があり、仕事で北海道の炭鉱?に出張した父親から、水晶がびっしり並んだ小石をお土産でもらった記憶があります。